堀家住宅 について

賀名生旧皇居

奈良県西吉野村の北部・和田の丹生川の清流に臨むようにひっそりとある賀名生の旧皇居「堀家住宅」。延元元年(1336年)の年の暮れ、足利尊氏によって京の都を追われた後醍醐天皇は、吉野へと向かう途中に郷土堀孫太郎信増の邸宅に迎えられました。天皇を手厚くもてなした郷士「堀孫太郎信増」の邸宅はその後、後村上、長慶、後亀山天皇の皇居として南朝の歴史を刻んできました。

 

堀家住宅のある奈良県西吉野村の北部・和田は、昔「穴生(あなふ)」と呼ばれていましたが、後村上天皇は南朝が正統でありたいと「叶名生(かなふ)と名付けられました。正平6年(1351年)足利氏が南朝に帰順し、多くの公卿や殿上人が賀名生に参候して北朝が否定されたので、翌正平7年の正月、後村上天皇は「願いが叶って目出度い」との思し召しから「賀名生」と改める勅書を下されたと伝えられています。当時は「かなふ」と呼ばれていましたが、明治の始めになって呼び方を「あのう」に統一しました。

 

南朝のゆかり深い地となった堀家住宅には、今も勅賜の日章旗をはじめ、貴重な品々が残り歴史と伝えています。